東京ネットワーク

明治期以降、利便性重視の結果、幾多の工場が河川の脇に作られました。

明治期に入ってからの近現代においては、河川とその界隈の空間の、都市空間おける重要性は逐次低下しました。

河川は「邪魔者扱い」されてきたとも言えます。

 

戦後の高度成長期にかけては、様々な生活汚水や工場からの排水で隅田川をはじめとする大都市圏の河川は汚れました。

そして、河川は、さながらドブのように扱われてしまいます。

さらには首都高速が、東京オリンピックの前に急ピッチで進められました。

首都高速道路は、河川の上に作られました。

東京においては、河川は完全に「都市の裏側」となりました。

そして、「表の都市空間」から切り離されました。

 

1970年代から急ピッチで下水が整備されはじめ、河川は急速に浄化され、ドブから復権しました。

下水道のNetworkは東京の「裏のNetwork」と考える事も出来ます。

「表のNetwork」である河川と、「裏のNetwork」である下水。

上下水は、都市の構築にとって最重要です。

 

「裏のNetwork」である下水は、東京は非常に進んだ都市です。

「表のNetwork」である河川の空間が復活した時、東京は都市として完全体となるのでしょう。

 

浮世絵:歌川広重

東京 ネットワーク 水辺 河川

DATA

  • Category:

    Urban

  • Type:

    調査・都市計画

  • Location:

    東京都

  • Team:

    YDS

  • Size:

    -

  • Status:

    Completed