江戸-東京:骨格
明治維新は、薩長土肥など、地方から起きた革命でした。
そのため、士族の反乱も、多くは彼らの本拠地である、薩摩・長州・肥前で発生しました。
江戸時代の街並や雰囲気を残しつつ、文明開化と呼ばれた西欧文明の流入による新しい様式の建築が建てられました。
新たな都市計画が実行され、江戸から東京へと建築・都市を取り巻く環境は引き継がれたのです。
急激な変化があったものの、骨格は保たれた江戸から東京の街並。
この街並は第二次大戦中に、東京大空襲などの大規模な空襲によって灰燼と帰してしまいます。
そして、その後60年代から80年代の高度成長期、東京の街並に対する景観・公共空間のデザインに大きな注意は払われないまま、開発が進みました。
建築・都市計画が成熟しつつあった頃に、バブル崩壊を迎えます。
90年代初頭のバブル崩壊により、経済の歯車が狂いました。
そして、そのまま今の東京につながります。
現在、東京の過去の歴史の蓄積で目に見えるのは、石垣や橋など一部の土木建造物に限られます。
江戸から東京へと歴史が重なり合う大都市・東京。
目に見える建築・都市では江戸の名残は限られますが、都市の骨格としては、江戸の都市構造を引き継ぎながら発展しているのです。
写真:「古写真で見る 江戸から東京へ」
小沢健志 鈴木理生(世界文化社)
江戸 東京 骨格
Photo : Yoshitaka Uchino
DATA
- Category:
Urban
- Type:
調査・都市計画
- Location:
東京都
- Team:
YDS
- Size:
-
- Status:
Completed