江戸キャナル
江戸期の河川空間では、橋とそのたもと界隈の都市空間が開かれた公共空間として機能しました。
江戸期、品川は東海道五十三次の最初の宿駅で、日本橋から2里の距離にあり、江戸の玄関口として反映していました。
風光明媚な景観をもつ宿場町は、常時大賑わいでした。
日本橋は、河岸や土蔵が建ち並び、流通の最も重要なポイントでした。江戸の全ての生活の中心でした。
明治期の河川空間では、神田川が隅田川口に合流する点である、柳橋の両岸は江戸時代から船宿や料理屋が数多くありました。
吉原や向島への船の仕立てや隅田川の舟遊びの拠点として繁盛しました。
柳橋に近く、隅田川に架かる両国橋付近は、眺望のよい江戸一番の盛り場納涼の場として賑わいました。
日本橋の創架は1603年に遡ります。
1873年に改架され、その後、乗合馬車や人力車の往来の為に車道と人道が別れました。
現存の石造橋が架設されたのは1911年です。
日本橋一帯は江戸時代の中心的な河岸であり、荷揚げ場として盛んでした。
船積み問屋が集まり、中でも鰹節や塩干肴問屋が多く、別名「鰹河岸」と呼ばれていました。
本船町の南河岸は魚市場が並び、ここに房総や相模の浦浦から鮮魚を積んだ船が集まり、魚河岸として賑わいました。
関東大震災後、魚市場が築地に移るまで、江戸・東京の河岸といえば日本橋だったのです。
浮世絵:葛飾北斎
江戸 キャナル 都市計画
DATA
- Category:
Urban
- Type:
調査・都市計画
- Location:
東京都
- Team:
YDS
- Size:
-
- Status:
Completed