江戸ウォーターフロント
江戸は徳川幕府が成立してから、急速に開発が進みました。
街並が構成されると同時に、人口も増加し続け、中期以降には100万都市になったと言われます。
当時の人口はロンドンが約70万、パリがおよそ約50万。
江戸は当時、世界一の大都市でした。
大都市・江戸は、西欧とは全く異質な文化を生み出し、様々な大衆文化が栄えました。
歌舞伎・浮世絵・相撲などいずれも庶民が担い手となって開花します。
建築においても、大規模は寺社仏閣・城郭建築に代わって、様々なタイプの建築が登場しました。
数寄屋建築・歌舞伎や能・人形浄瑠璃のための劇場建築が建てられます。
そして、農村の民家や都市の町屋等、比較的小規模な建築に傑作が生まれました。
江戸期には水運が、流通の重要な位置を占めました。
そして、江戸の各地に河岸が作られました。
河岸は、水運交通の結節点となり、人が集まり、水辺空間の開放性もあり、名所や盛り場が多くできました。
日本橋川に架けられた江戸橋の橋詰めにある江戸橋広小路も、河岸に発着する船荷や旅客で賑わいました。
そして、床店や水茶屋が広小路の両側に軒を連ねました。
この水辺付近の空間の公共空間も「道空間」です。
水辺の公共空間として、ヴェネツィアのサンマルコ広場などがあります。
どちらかというと、日本人は「道を練り歩く」ような「道空間」が好きであると考えます。
浮世絵:歌川広重
江戸 ウォーターフロント 河川 川 都市計画
DATA
- Category:
Urban
- Type:
調査・都市計画
- Location:
東京都
- Team:
YDS
- Size:
-
- Status:
Completed